nanndemonaiyouのなんでもない様

好きな言葉はバールのような物、嫌いな言葉はなるようになる です

東京日和

つまらん日常で募って行ったことを6cmくらい背伸びして詩的な人を装って、だけど自分の考えてる事に嘘がないように、ありのままわがままあるがままに、不定期に、書きたい時に、わたしの事をわかってくれそうな人だけ見える所に書きたいと思います。


今のわたしは華のJKライフ真っ只中であり、また、学生の重大イベントである夏休み真っ只中でもあります。もう何回訪れたかわからないこのイベントに付き物なのが宿題というしつこ過ぎる怪物で、せっかくの休みにそれをわざわざ邪魔してくる性悪過ぎな宿題なんて無ければいいって毎回心の底から思うけれど、夏休みと宿題なんてハンバーガーにポテトぐらい定番コンビだということを無意識に受け入れて8月29日くらいに終わらせる。終わらせるとずっと抱えていた「早く終わらせなくちゃ」という煙たい毎日の憂鬱から解放されて凄く楽になる。

逆に、この数日間でわたしは沢山の煌びやかで大好きなものに触れて充実した日々を過ごした反面、最後から2日目ぐらいには「あと2日しかない、そのあと2日が終わってしまえばまたただだらだらとした価値のない無料の生活に元通りだ」という気持ちが徐々に増えていって、今日なんて最悪で85%くらいはその気持ちに侵食されてしまっていました。

これは、好きなバンドのライブの終演時間が近付くと、そればかり気にしてしまって上手く楽しめないという、最近発見したわたしの致命的な悩みと同じ感覚だと今帰路に着きながら思い付きましたので、書きました。

まぁまとめると嫌いなものを受け止める事よりも大好きで懐かしくて尊くて大切なのに儚くて特別なもの、人、場所、時間、環境から離れる事が1番怖いんだと気付けました。気付きました。けどこうゆうことに気付くのはいつも最悪に近いタイミングなので皮肉だなぁと最近よくため息が出ます。

好きな食べ物を最後に取っておくわたしの可愛らしい癖や、こんな感じで如何にも 偏差値50またはそれ以下 という感じの拙い文章ですが、そんなんをここに残そうと思ったのは、これから沢山のものに触れて思考が成長していくとこうゆう文章は書きたくても書けないんだからある意味貴重な価値のあるものだと珍しくポジティブに思ったからです。これは正にさっき書いたみたいな思考から来てるんだなと思います。

因みにこれを書き始めたのは新幹線の中でして、わたしは悲しい事や腹立たしい事以外で無意識に涙が出てきたのは、某バンドの大好きな曲である猫背と癖を生で初めて聴いた時と大好きなバンドマンさん達に叫ばれた生々しい応援の言葉を聴いた時ぐらいで、なかなか泣けない人なのですが、この数日間を振り返りながらこれを書いていたら何故かすげえ量の涙出てました。隣の人にバレそうで恥ずかしかったよ〜わろた

ただ、最近、結構ちゃんと生きるの辛いと思う事が増えたことを実感していて夏が終わって少ししたらもういいかと割と本気で思ってたけど今回は一旦は取りやめになりそうですよかった。

今はもう駅から家への疲労を纏ったバスに揺られていてヘッドフォンからはクリープハイプが流れています。あとこれを書いて若干酔いました、自分にも少しだけ。5%くらい。オロロ。